第5回は、2021年5月8日(土)夜9時~ zoomで開催(※毎月第2土曜日21時からになります)。
今回のテーマは、「会則教義条項改変問題」についてです
原田会長は、2014年の会則の教義条項の改定に際して、「 今回、こうした経緯(=宗門との決別等)と世界教団としての発展の状況に鑑み、学会の会則の第1章第2条の教義条項を、創価学会の宗教的独自性をより明確にし、世界広布新時代にふさわしいものとするとともに、現在の創価学会の信仰の実践・実態に即した文言にするために、改正いたしました」と述べ、「会則の協議事項に言う『御本尊』とは創価学会が受持の対象として認定した御本尊であり、大謗法の地にある弘安2年の御本尊は受持の対象にはいたしません。世界広布新時代の時を迎えた今、将来のためにこのことを明確にしておきたいと思います」と宣言しました。
要するに、弘安2年の御本尊を受持の対象にしないことで、日蓮正宗との差別化を図り、創価学会の宗教的独自性を明確にしたというのです。しかし、教団にとって大切なのは、独自性(オリジナリティ)よりも正統性(オーソドックシー)です。
弘安2年の御本尊を受持の対象にしないのは、日蓮宗(身延)も法華宗も同じです。
日寛教学は、人法一箇の大御本尊を立てます。法が先にあってその法を悟って釈尊はブッダ(仏)になった。万有引力がもともとあって、それを発見したのがニュートンだというのと同じ発想です。
こういう説明のほうが、現代人には分かりやすいので、こういう天台智顗や禅宗などと同じ「悟り」の宗教的な立場を取ったのだと思いますが、とんでもない間違いです。
これは、法身を単なる非人格的な「理」とのみ見る立場です。
そうではなく、法身は理だけでなく智も含んでいる人格的なものなのです。日蓮仏法は、この人法一箇の人格的本尊を信じて救われる「救い」の宗教なのです。また、人法一箇の人格的本尊と身口意の三業が合一して即身成仏する宗教です。
朝晩勤行して、題目を何百万遍も何千万遍も唱えて、ようやく成仏できるような、歴劫修行の宗教ではないのです。
大聖人の仏法には、「悟り」の宗教的な側面も、「救い」の宗教的側面もありますが、今の創価学会は、また松戸行雄氏ら自活の面々は、「悟り」の宗教、歴劫修行の宗教のほうに偏り過ぎていると思います。危ないですね。即身成仏は、仏と衆生の感応道交、境地冥合、師弟の合一によって、できるのです。それを忘れてはならないと思います。
創価学会は、会則の教義条項を改変し、人法一箇を否定し、「法先人後」の本尊観に変えてしまいました。人法一箇を否定した法先人後の仏身観も身延と同じ。全く独自ではありません。
これまで一致派(身延等)から勝劣派(富士等)に移った教団はいくつもありましたが、勝劣派から一致派に転落するのは、ほとんど初めてのケースでした。
しかも、受持しない理由が「謗法の地にある」からと。大石寺が謗法の地と化したのは、1991年に学会を破門して以降、ずっと謗法の地だったわけで、2014年までの23年間、ずっと三大秘法の大御本尊に南無し奉り…と祈念して来たわけです。全く整合性がありません。
どうしてこういうトンデモナイ過ちを犯したのでしょうか? それは、正統性ではなく独自性を求めたからでないかと思います。独自性というのは、独立した教団なんだからどんな教義を立てようと勝手でしょうという考え方です。価値(正義)の相対主義です。正義と正義のぶつかり合いです。
独立した教団なんだからどんな教義を立てようと勝手だとか言ったら、折伏なんかできません。折伏は、教義には高低浅深・正邪があるというのが前提ですので。2014年の教義改変によって、創価学会は折伏を放棄したことになります。
教学部レポートによると、谷川副会長(当時)は「独立した教団なんだから、(教義なんか)変えてもいいんだし、変えられるんだ」といい、三代会長等が言ってきたこととの整合性なんか考えなくていいと言ったそうですが、全く分かっていませんね。
秋谷元会長も、「谷川に教義改定を任せたけど失敗だった」と植木さんらに言っていたそうです。原田会長や谷川副会長の間違いの理由は、兵頭さんの言う「オリジナリティヘの執着」「オリジナリティという幻想」にあります。まさしく、「求むべきは、オリジナリティ(独自性)ではなく、真実それ自体(正統性)であり、個性(価値の相対主義)ではなく普遍(価値の絶対主義)」です。
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