第25回「大聖人の曼荼羅本尊をめぐる諸問題について①」

第25回は、2023年1月7日(土)夜8時~ zoomで開催します(※毎月第1土曜日の20時からになります)。
今回のテーマは「大聖人の曼荼羅本尊をめぐる諸問題について」です。

「大聖人の曼荼羅本尊をめぐる諸問題について」と題して、大聖人が竜口の法難の後、佐渡に流された時から、図顕され始めた曼荼羅本尊に関して議論されてきたさまざまな問題について、掘り下げてみたいと思います。
開目抄で、「日蓮といゐし者は去年九月十二日子丑の時に頸はねられぬ、此れは魂魄・佐土の国にいたりて」とおっしゃったように、大聖人は、佐渡流罪以降、日蓮が魂・魂魄を「すみにそめながして・かきて候ぞ信じさせ給へ」と紙墨の曼荼羅を書き表わされ、弟子檀那らに下付されています。
この曼荼羅本尊については、昔から、法本尊・仏(人)本尊の問題がありました。曼荼羅本尊自体を人法一箇の本尊とみて、造仏を否定する大石寺系に対して、曼荼羅本尊を法本尊としか見ない人々にとっては、曼荼羅は単なる“設計図”に過ぎず、一尊四士、一搭両尊四士など、仏像を並べて曼荼羅を立体的に表現しようとしました。
2014年に会則の教義条項を改定した創価学会も、曼荼羅本尊は、「宇宙と生命の根本の法」を書き表わした図像(法本尊)としか考えておらず、日蓮本仏を否定し、釈迦本仏を唱える方向に向かっており、仏像本尊を許容しかねない雲行きです。
また、曼荼羅本尊自体も、相貌が年代によって大きく変わっており、その変化が何を意味するのかが一つの問題になっています。
さらに、大石寺が生身の大聖人と拝するいわゆる戒壇板本尊の真偽問題についても、その真実を究明したいと思います。


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