第31回教学研究会 前半講義「八重の相対論」再考──「質問状─天野達志氏の『八重の相対論を斬る』を粉砕す」

第31回は、2023年7月1日(土)夜8時~ zoomで開催します(※毎月第1土曜日の20時からになります)。
今回の前半講義テーマは「八重の相対論」再考──「質問状─天野達志氏の『八重の相対論を斬る』を粉砕す」です。

「天野氏への質問状」 及び「勇舞氏の『八重の相対は御書にないから邪義』を破す」

天野氏の配信「人間対話」第68回における波田地さんに対する誹謗中傷は、本人の教学力の無さ、品性下劣さを露呈して余りありますが、中でも許せないのが、この暴言です。

「波田地氏の自説、論というのもおこがましい。寝言、戯言、己義。五重の相対を悪利用。『いいこと思いついたよね、五重の相対があるから、八重の相対って、いいネーミングじゃねえ』と言いながら作ったようなもの」
「はたちチャンネルは時間の無駄。机上の勉強などクソの役にも立たない」と。

天野氏は、八重の相対論が平成3年以降、何十年にもわたって天魔・日顕、八尋・原田・谷川らと戦う中で、だんだんと積みあがって出来上がったものであることが全く分かっていません。机に向かって、鉛筆なめなめしながらできたものだとバカにしているのです。

この「八重の相対論」の名前が付いたのは、2008年秋に兵庫の有馬温泉で行った関西オフ会の時でしたが、その淵源をたどると、第一宗門問題の時、「同じ御書、同じ御本尊、同じお題目なのに、どうして創価学会をやったほうがいいのか」をテーマに文証・理証・現証の三証を通して証明するというのが、波田地さんのライフワークになりました。

 

最初に文証として重要性を認識したのが、戸田先生の佐渡御書講義でした。そこで、戸田先生は、大聖人を迫害した極楽寺良観たちは、インドで釈尊を迫害した六師外道の生まれ変わりである。その良観たちが、今(戸田先生当時)、仏立宗や立正佼成会など日蓮系教団の教祖となって、日蓮正宗創価学会に敵対している。では、そのような教祖たちがなくなると、今度は、日蓮正宗の中に生まれてくる。そして、大阪・蓮華寺の僧侶のようになって現れて、創価学会員に御本尊を下付しないとか、創価学会員を日蓮正宗から信徒除名したりしてくるのであると述べています。実際、その通り現れたのが日顕でした。

この佐渡御書講義の「天魔は時々の正法の内側へ、内側へと入り込む」という原理から、日蓮正宗の中に入り込んで日顕という形で現れた天魔が次には、創価学会の中に入り込むというのは、当然、予想されました。第六、第七の相対がおのずと出てきます。

 また、「正本堂」の意義づけ問題をめぐる顕正会や宗門関係者らとの法論の中で、観心本尊抄の四菩薩摂折論の重要性に目覚めました。
 また、師弟の道と師弟不二の道については、池田先生が昭和54年に連載された小説「人間革命」第10巻の中で、詳しく描かれていました。

つまり、第六、第七、第八の相対については、素材は、第2次宗門問題以前に、すでに出そろっていたのですが、ネーミングがはっきりしませんでした。また、個々バラバラでつながりがありませんでした。

 

「宗創相対」という名前で行けると感じたのは、第2次宗門問題勃発後の宗門や妙観講等との闘いの中においてでした。
一番、いい名前が思いつかなくて、思案していたのが、第七番目の相対です。創価学会の中に天魔が入ってくるわけだから、創価学会が二つに割れて、創価学会Aと創価学会Bの相対になることは分かっていましたが、それをどう表現したら、ぴったりわかるか。当初は、創創相対と呼んでいました。

 その決め手になったのが、第一庶務の峰尾次長の言葉でした。詳しくは、当日、お話ししますが、八重の相対論の成り立ちについては、一つ一つに、あの時のあの出来事、あの時のあのひと言という具体的な出来事、体験が付随しているのです。
 それを知らない天野氏は、「いいこと思いついたよね、五重の相対があるから、八重の相対って、いいネーミングじゃねえ」「机上の勉強」などとバカにし、おちょくっているのです。
 人を愚弄するのもいい加減にしろ! 教学というものをバカにして。この天野という底の浅い男だけは、絶対に許せませんね。

 といったような感じで、波田地さんの体験談から初めて、八重の相対論がどのように出来上がったか、どういう意義を持つのか、池田先生とのかかわり等々をお話ししたいと思います。

「天野氏への質問状」 及び「勇舞氏の『八重の相対は御書にないから邪義』を破す」

 

毎回、充実した内容になっています。
是非とも新しいご友人、お知り合いの方々を伴って、ご参加くださいますよう、お願いいたします。


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