第64回教学研究会

開催日時:2026年4月4日(土)午後8時~ zoomミーティング  (※毎月 第1土曜日 午後8時)

毎回、充実した内容になっています。
是非とも新しいご友人、お知り合いの方々を伴って、ご参加くださいますよう、お願いいたします。

※初参加の方は「参加ルール」をご確認のうえ、「参加申し込みフォーム」からお申し込みください。

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【研究会の内容】

 <開催の約2週間前に掲載します>

   講義

  • 前半講義:「それでも、日本人は『戦争』を選んだ」
  • 後半講義:「『大御本尊とは何か』を考える――原田・谷川・宮田らはなぜ『教学要綱』のような邪義に堕ちてしまったのか?」

 


【講義内容の詳細】

・式次第及び内容等。
レポーター:神奈川の女性部メンバーと波田地の2本立てです。
司会: 大阪の壮年部メンバーです。

・当日の流れ:
①司会の第一声および自己紹介
②初参加メンバーの簡単な自己紹介
➂神奈川の女性部メンバーによる体験発表(第2回)
「とあるミレニアム世代の体験談・中編」
④七ツ星さんによる「スラップ訴訟」報告
※動きがなければ割愛します。
⑤音声・映像視聴コーナー
テーマ:「青年の譜」
※紹介すべき音声・映像等が見つからなければ割愛します。

──休憩──

⑥前半講義:「それでも、日本人は『戦争』を選んだ」

by波田地

──休憩──

➆後半講義:「『大御本尊とは何か』を考える――原田・谷川・宮田らはなぜ『教学要綱』のような邪義に堕ちてしまったのか?」

by波田地

……………………………

【解説】

⑥前半講義:「それでも、日本人は『戦争』を選んだ」

 正法が滅しようとする時、その国に起こると予言された「疫病」「穀貴」「兵革」の三災。近年のコロナ禍、物価高騰に続き、ついには日本が戦争に巻き込まれるのもすぐ間近と感じられる昨今ですが、先月の総選挙の結果は、後世の歴史家から「日本人は、それでも『戦争』を選んだ」と評されるのではないかと危惧します。
 同名の著書を持つ歴史学者の加藤陽子氏の研究からわれわれが今、何を選択しなければならないか、何を選択してはならないかを考えたいと思っています。

加藤陽子
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8A%A0%E8%97%A4%E9%99%BD%E5%AD%90

2020年に、日本学術会議の新会員候補に推薦されたものの、他の5名の候補とともに、内閣総理大臣菅義偉によって任命を拒否されたことで、聞き覚えがあるかと思います。

『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』は、神奈川・栄光学園の歴史研究部の中高生たちに行った講義をまとめた書籍です。

私がこの本を取り上げようと思った理由は、高市政権がバカ勝ちしたため、後世の歴史家からあの時の総選挙で、「それでも、日本人は『戦争』を選んだ」と言われるのではないかと思ったことに加えて、もう2つの理由があります。それでこれはタイムリーだと思いました。

一つは、ここ2回学んだ幕末維新の時代の続編を読んでいるような気になったからです。特に、山形有朋と伊藤博文の2人の元老は、吉田松陰の攘夷論すなわちとりあえず開国した後、富国強兵して不平等条約を改正するという構想をそのまま実践していたことが分かりました。実際、日清、日露、第一次世界大戦と勝利し、一等国の仲間入りを果たすなかで、かなり改正の成果を得ていたことを初めて知りました。その意味からも、4月に取り上げる意味がありますね!

もう一つの理由は、この本の62ページ以降、特に、「なぜベスト・&ブライティストが誤ったのか」をとても面白いと思ったからです。

私は、原田や谷川や宮田らがベストともブライティストともちっとも思いませんが、本人たちはその気でしょう。そのベスト・&ブライティスト気取りの連中がなぜ、あんなろくでもない『教学要綱』を作ったのか、なぜあんなバカな路線を突っ走ったのかが、ずっと謎でした。

加藤氏の本を読んでひらめきました。「人びとは、自分がまず思いついた事例に囚われてしまうものなのだ」という歴史の法則です。彼らは、まず思いついた「弘安2年の御本尊」(戒壇の大御本尊)に囚われてしまって、あれを否定し排除しなければ、学会は自立できない、独自な教団になれないと思いこんだのだと思います。

彼らの最大の失敗は、戒壇の大御本尊を否定するあまり、「大御本尊」まで否定してしまったことです。「大御本尊」は創価仏法の原点である戸田先生の「悟達」(戦中と戦後の二度)と密接に関係しています。これを否定し、「大御本尊」から「大」の字を削除し、単なる「本尊」とすることは、創価仏法の破壊につながります。
そして、戒壇の大御本尊を絶対化したのは日寛だ、だから日寛教学を排除しなといけない、日寛教学とは人法一箇であり、日蓮本仏論だ、これを絶対に否定・排除しなければならないというように、どんどんエスカレートしていったのだと思います。

そこには、創価学会という組織に、集団で議論することで、かえって判断能力が欠如してしまい、過ちにつながる選択をしてしまう、いわゆる「グループシンク(集団浅慮)」に陥りやすい体質があったことも大きな要因と考えられます。

そしてこれらのことは、後半講義へとつながります。

➆後半講義:「『大御本尊とは何か』を考える――原田・谷川・宮田らはなぜ『教学要綱』のような邪義に堕ちてしまったのか?」

 私の持論は、戒壇の大御本尊すなわち大石寺の板本尊は、「大御本尊」のあり方、現れ方の一つにすぎないというものです。「大御本尊」とは、「日蓮がたましひをすみにそめながして・かきて候ぞ」(月水御書)と仰せの「日蓮が魂」のことであり、「日蓮といゐし者は去年九月十二日子丑の時に頸はねられぬ、此れは魂魄・佐土の国にいたりて」(開目抄)と仰った「魂魄」のことです。

大聖人は、実際は御自身の頸が斬られていないにも関わらず、「日蓮といゐし者」(外用)は竜口で死んでしまった、佐渡に渡ったのはその「魂魄」(内証)であると自ら弟子檀那に宣言されたのです。

この大聖人の内証の「魂」「魂魄」こそ、「大御本尊」の正体です。教学的には、「久遠元初の自受用報身」といいます。報身とは、菩薩が長い修行と功徳の報いとして獲得した、有始無終の智慧の当体です。無始無終の真理の当体である法身および有始有終の慈悲の当体である応身とは区別されます。

戸田先生は質問会集で、「御本尊出現以前の信者たちは何を拝んでいたのですか」との質問に対して、
「大聖人にお目通りして唱題していた」
すなわち大聖人を拝む対象すなわち本尊としていたと述べています。
「本尊とは法華経の行者の一身の当体なり」(御義口伝)といいますので当然のことといえます。
しかし、「一身の当体」とはいうものの、煎じ詰めれば、応身(化身、肉身)ではなく報身(真身)が本尊です。御本尊出現以前の信者たちは、大聖人と意気投合すること、大聖人の報身と境智冥合することで成仏できました。大聖人滅後の我々も、大聖人が墨に染め流して書き顕わされた自受用報身如来の当体たる曼荼羅御本尊と境智合することによって成仏できます。

鎌倉時代、御在世の時は、大聖人の肉身は信不信にかかわらず拝することが出来ました。 しかし滅後において、 不信の者は文字通り大聖人は滅せられたと思ってしまいました。
しかし真に大聖人を信ずる者は、たとえ肉身は滅せられても、その内證の常住不滅なることを拝することが出来ました。その常住不滅の大聖人の内證を、日興上人が信の一字の上に体得されたところに、富士門流の伝統の源があります。

近年の教義論争において、私の持論と同じく
「大御本尊の正体は大聖人の内証である」
「宗祖の内証真身たる久遠元初の自受用身が本仏」
と主張しているのが、第一次宗門事件の際、擯斥された正信会(興風談所)の面々です。
彼らは、明治維新以降、西洋物質文明の影響で、宗門の教学も目に見えない内証己心を基調とした法門だったのが、次第に外相化して目に見える物質面を偏重する外相中心の教学(明治教学)になったと主張します。そして今日の諸問題の生ずる原因が、この何事も即物的に解釈する現代の法門にあると指弾します。

言われてみると、宗門も学会も、金原明彦氏もみな、御本尊を即物的にしかみていませんね。
宗門は、正信会を「目に見えないものが宗旨だと言うのは理であり、観念論であり、 禅宗である」と非難し、「大聖人の肉体も楠の板本尊も三世常住である」とまで言い出しました。学会も、2014年に会則を改定した際、日蓮図顕の文字曼荼羅も書写の文字曼荼羅も全て等しく「本門の本尊」であると説明したことから、「『本門の本尊』を信仰の対象としている日蓮宗各派の信仰、ならびに日蓮正宗の信仰にも、応分の功徳がある」とか、「『本門の本尊』を信仰しても、全く功徳がないという教義を日蓮の御書から導き出すのはかなり困難ではないか」等と言い出しました。これも、目に見える本門の本尊に向かって耳に聞こえる唱題を実践するという行為は宗派に関係なく同じなので、功徳は同じであるという極めて即物的な考え方だと思います。
また、金原氏の『日蓮と本尊伝承――大石寺戒壇板本尊の真実』も徹頭徹尾、戒壇板本尊についての即物的な研究であって、戒壇板本尊の内証である「大御本尊」についての考察はありませんでした。

対して、池田先生は、1974年8月、高等部の夏季講習会で、10項目の指針を示され、その第1項目で
「仏法者として、本門戒壇の大御本尊を、一生涯忘れないでください」
と訴えられました。
当時、高3だった谷川なんかは、池田先生の指針とは真逆で、会員に大御本尊のことを忘れさせようとして「大」の字を取ったりしています。先生のこの指針をなかったことにしたいようです。

また、学会破門後、大御本尊が既に謗法の地にあった1993年に、
「日蓮聖人の出世の本懐である一閻浮提総与の大御本尊が信心の根本であることは、これからも少しも変わらない」
と宣言されています。
さらに、2013年に行われた教義改定や会憲制定の論議の中で、現在の長谷川理事長は、「池田先生は大御本尊と決別するなどとは言っていない」「会長は嘘をついている」等の発言が残っています。

ここから考える時、池田先生は、戒壇の大御本尊の外用も内証も、よくわかっていらっしゃって、「大御本尊には手をつけるなよ」とたしなめていたのではないかと思われます。

この戒壇板本尊の内証の問題については、正信会、特に興風談所の大黒喜道氏(「仏法か外道か」)や山上弘道氏(「色法と心法」)らが画期的な論考を発表しています。
宗旨分と宗教分、流転門と還滅門、内証己心と外相等の立て分け等、特殊な用語を使うので、とっつきにくいかもしれませんが、言っていることは極めてまともです。
これらをもとに、「大御本尊とは何か」を考えていきたいと思います。

以上です。

 


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