第69回教学研究会

開催日時:2026年9月5日(土)午後8時~ zoomミーティング  (※毎月 第1土曜日 午後8時)

毎回、充実した内容になっています。
是非とも新しいご友人、お知り合いの方々を伴って、ご参加くださいますよう、お願いいたします。

※初参加の方は「参加ルール」をご確認のうえ、「参加申し込みフォーム」からお申し込みください。

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【研究会の内容】

 <開催の約2週間前に掲載します>

   講義

  • 前半講義:勝劣派から一致派に堕ちたトンマ教団・創価学会!
    日蓮教団の分裂の歴史を学ぶ
    富士門流を割いた仙代問答と東坊地問題
  • 後半講義:『教学要綱』の邪義を見える化してくれる身延山——日蓮は本師釈迦牟尼仏の弟子、南無妙法蓮華経如来を見失う!
    創価学会を身延化した原田・谷川は五老僧の生れ変りだ!

【講義内容の詳細】

・式次第及び内容等。

レポーター:静岡の女性部メンバーと波田地の2本立てです。
司会: 神奈川の女性部メンバーです。

・当日の流れ:

①司会の第一声および自己紹介
②初参加メンバーの簡単な自己紹介
➂静岡の女性部メンバーによる体験発表
④音声・映像視聴コーナー(※お休みm(_ _)m)

──休憩──

⑤前半講義:勝劣派から一致派に堕ちたトンマ教団・創価学会!
日蓮教団の分裂の歴史を学ぶ
富士門流を割いた仙代問答と東坊地問題

by波田地

──休憩──

⑥後半講義:『教学要綱』の邪義を見える化してくれる身延山——日蓮は本師釈迦牟尼仏の弟子、南無妙法蓮華経如来を見失う!
創価学会を身延化した原田・谷川は五老僧の生れ変りだ!

by波田地
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【解説】

⑤前半講義:勝劣派から一致派に堕ちたトンマ教団・創価学会!
日蓮教団の分裂の歴史を学ぶ
富士門流を割いた仙代問答と東坊地問題

今年7月、西湖オフ会で講義した「日蓮教団の分裂の歴史」をバージョンアップしてお話ししたい。まず、大聖人が本弟子として選んだ六老僧や、それにならって日興上人が定めた本六、新六の名前を挙げられるでしょうか?その弟子たちが率いた各門流がその後、どのような展開をみせたのか。
とかく富士門流、殊に大石寺門流にのみ限定されがちな創価学会員の視野を広げるとともに、分裂の原因――特に1333年に日興、日目上人が相次いで亡くなった後の仙代問答や東坊地問題(道郷論争)などについて新資料を交えて学びたい。

⑥後半講義:『教学要綱』の邪義を“見える化”してくれる身延山——日蓮は本師釈迦牟尼仏の弟子、南無妙法蓮華経如来を見失う!
創価学会を身延化した原田・谷川は五老僧の生れ変りだ!

勝劣派から一致派に転落したトンマ教団の信濃町が『教学要綱』によって完全に身延同然の教義になったことを露呈したことは知る人ぞ知るところ。それを象徴する身延山の2枚の写真を提示して、創価学会の邪教化を“見える化”したい。

1枚は、身延山の頂上に立つ「本師釈迦牟尼仏」の像です。
『教学要綱』には、「この二つの最大の難(=竜口と佐渡)を乗り越える中で、大聖人は境涯の大転換を果たされた。(中略)それでは、大聖人は新たにどのような立場に立たれたのであろうか。それは、釈尊から滅後悪世の弘通を託された地涌の菩薩、なかんずくその筆頭である上行菩薩としての役割を果たす立場である」(『教学要綱』四三頁)
「日蓮大聖人は(中略)自身が釈尊から滅後の『法華経』の流布を託された『如来の使い』であるという自覚を示されている」(同書九三頁)
とあります。いまの創価学会の本師は日蓮大聖人ではなく、久遠実成の釈迦牟尼仏になってしまったことは明らかです。

もう1枚は、身延山久遠寺本堂安置の本尊です。これは大聖人の曼荼羅本尊の主要な部分のみを「仏像」で表したものです。ところが、曼荼羅本尊ではどの諸尊よりも大書されている首題の南無妙法蓮華経は、人格を伴う仏像ではなく、小さな板切れに南無妙法蓮華経と彫刻された非人格的な「法」としてあらわされています。首題のみを仏像ととらえず法と見るのは、不自然ではないか。身延は中央の首題が理智不二(人法一箇)の法身・南無妙法蓮華経如来という人格的存在(仏像)であることを知らず、本質を捉え損なっているのです。
曼荼羅本尊の首題の南無妙法蓮華経を単なる非人格的な「法」と見るのは、『教学要綱』も、「本仏と本尊は違う」「釈尊も大聖人も拝む対象ではない」
という驚天動地の珍説を唱えた男子部教学室も同じです。
その根拠としているのは、「本尊問答抄」である(『教学要綱』80頁)。
「法華経の題目を本尊とすべし」「法華経の題目が能生、釈迦・多宝が所生」「今、能生をもって本尊とするなり」とあるから所生の釈迦や日蓮は本仏で
あっても本尊ではない」というのである。

『教学要綱』を主導した教学部アドバイザーの宮田幸一氏は、「日有の教学思想の諸問題(5)」で

「日蓮本仏論を採用しなくても、創価学会が日蓮の正統を継承しているということは、日蓮正宗も他の日蓮宗も、日蓮の『本尊問答抄』の議論に反して法本尊以外に人本尊を立てているが、学会だけが日蓮の教えの通り法本尊のみを本尊としているという点に求めることができる」
「創価学会は本尊として法本尊=曼荼羅本尊しか認めていない。人本尊を別に立てれば、それが久遠実成の釈尊像か久遠元初仏の日蓮御影かで論争
になるが、人本尊を必要としなければ(当然人法一箇論も採用しない)、日蓮が上行菩薩再誕であっても、久遠元初仏の再誕であっても、どちらでも構わない。」
と述べている。

「人法一箇」というのは、「日蓮がたましひをすみにそめながしてかきて候ぞ」という曼荼羅本尊(=法本尊)の中に大聖人(の魂)という人本尊を拝することである。曼荼羅の相貌に即して言えば、首題の「南無妙法蓮華経」が法本尊、その真下に大書される「日蓮」が人本尊で、人法一箇なのである。
別の角度から言えば、首題の南無妙法蓮華経は単なる法本尊ではなく理智不二(人法一箇)の法身・南無妙法蓮華経如来であり、日蓮は応身、花押は報身に配される三身相即の一体仏とも言えるのである。

ところが、驚くべきことに、『本尊問答抄』の能生所生論をもって、釈迦像本尊や御影本尊、さらには人法一箇論を排斥した宮田氏本人が、「当然採用
しない」と言っていた「人法一箇論」を本尊問答抄に基づいて排除するのは無理と気づいたようだ。
宮田氏は「本尊問答抄について(1)」 において、同抄の問題点をいろいろと列挙しているが、その中で、最大の問題は「仏舎利ではなく経巻を安置せよと指示している法師品では、その理論的根拠として能生・所生の議論ではなく、経巻に如来の全身が在るからだと述べていることにより、経巻が仏より勝れているという能生・所生の議論を無効にしている」と述べているのである。
そして、「これらの点から『本尊問答抄』は説明を要する箇所がそれなりに残っている、不完全あるいは不十分な議論」と結論した上で、最後には、「『本尊問答抄』の能生所生の議論などの宗教的理由にはあまり重きを置いていない」などと無責任なことを言い出した。そして、理法と教法の問題にすり替えていき、「仏が法を発見するかどうかとは無関係に、理法は宇宙に内在する」「教法であればそれを説いた仏の悟りの内容を配慮する必要があるだろうが、 理法であれば(中略)述べられていることが真であるかどうかは、
それなりの手続き(宗教体験)によって確かめることができる」と述べ、南無妙法蓮華経は教法ではなく理法だから人格的要素は含まないと言い出した
のである。南無妙法蓮華経を大聖人が説いた教法ではなく、科学の法則と同じような理法であるなどと述べ、身延の学者ですら啞然とする人法一箇の否定、人本尊の排除をしたのである。

【参考】
須田晴夫氏ブログ第六弾
「神格化・神秘化」というレッテル貼りの印象操作
https://note.com/legal_zephyr6027/n/n95db05784e4d?sub_rt=share_b

本番の当日の講義では、身延と同等もしくはそれ以下に堕ちたというほかない『創価学会教学要綱』や宮田教学を徹底的に粉砕していきたい。

以上です。


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